カズオイシグロ『日の名残り』を読んだキモオタ

オタクとしては出家と言ってもいいくらい苦しい決断、スマホタブレット類解約&売却の刑を受けて四日目。仕事の休憩時間が暇過ぎて脳みそ腐りそう…既にある意味腐ってはいるが腐りそうだったためとりあえず買った本が『日の名残り』だった。ノーベル文学賞受賞作家の作品だしはずれはしないだろうと。

 

すごい。すごい本を読んでしまった。

ちょっと検索すりゃいくらでもネタバレや魅力が出てくるのでもう普通に書くが、信頼できない語り手の物語とはこんなにも面白いものだったのかと感動した。元々本をあまり読まない非文化人なのでこういう文学的な作品を読み終えたというだけでも十分満足し感動しているところもあるのだけれど、それを差し引いてもこの本はすごい。ボキャ貧な自分の脳が憎い。

 

 

主人公のスティーブンスは現在アメリカ人の富豪にダーリントン・ホールという屋敷と共に買われ仕えていて、ある日その富豪…ファラディ様に「たまにはドライブ旅行でもしてみたら?自分の国の景色知らんなんて勿体ないよ」的なことを言われる。スティーブンスはこの時点で既に「いやイギリスのことは過去にこの屋敷であった様々な会議で本質知っとるし」とか思ってて自分が過去に凄い人(ダーリントン卿)に長年仕えたという誇りしか頭に無いのが…読了後読み返してみるととても悲しい。ああこの人は本当に執事のこと以外はてんで上手くいかない人だな…と。

スティーブンスは執事業に関してはおそらく完璧だったのだろうなあ(他の登場人物との会話を素直に受け取ればだが)。あと容姿もそこそこイケてるんじゃないかと思う、主人に借りた車乗って頂き物のスーツ着てガワは紳士っぽいとしてもおそらくそこそこの容姿が無いとあそこまで羨望されないんじゃないかな。いや容姿イケててほしいのは私の願望なんですけど。

 

スティーブンス、彼は本当に「推しが不器用だと良い」オタクにはたいそうウケが良いだろうなと思う。まあ不器用な男だ。そして色々と持ってない。ダーリントン卿という「スティーブン曰く」とても英国紳士たる方をとにかく信じ続けたという湿っぽさもグッド。少なくとも私は読んでる間ずっとスティーブンスが愛おしかった。

彼の父はとても優れた執事で晩年はスティーブンスと一緒にダーリントン・ホールで働いてたんだけど、ある大事な会議の最中に死んでしまう。その時スティーブンスは執事としての働きを優先し父の死に際を看取れず、最期に父にかけた言葉も簡素な言葉…そして重要な会議が終わった後スティーブンスが思ったのは「執事としてなすべきことをした!」ってことばかり…。もう父には会えないんだぞいいのか…。

恋愛に関してもこんな感じで、女中頭と結構いい感じになってたところで女中頭が他の男からアプローチされ求婚までされる→求婚されたというタイミングが最悪でまたも大事な会議の最中…結局おめでとうと言うだけで終わり、本当は引き留めてほしかったであろう女中頭はスティーブンスを諦め本当に嫁いで仕事も辞めた。

ただスティーブンスはこういったプライベートなハプニングが起こると結構顔に出てるらしく、主人や来客に心配されている…そういうところが彼が仕事にストイックなだけというわけではなく不器用、ある意味で周りが見えていない鈍感さであると言えるだろう。んで、そこにキャラクターとしての魅力を感じずにはいられないのだ。

歳のせいもあってか結構ミスをやらかして、その度にめっちゃ読者に言い訳してくるのがまた良い。一見デキそうに見えて実はそうでもないという…。本人は自分はまだまだ現役だと思ってるんだけど、もう現役ではないんだな~っていうのが終わりの方でやっと出てくるのがまた悲しい(美味しい)。とにかく自分にとって都合の良い解釈と言い方しかしていないのでとても愛おしい。

 

物語の要である「かつての女中頭と会う」という超ビッグイベントの内容を読者にダイジェスト気味で伝えてくるのも実に自分本位で良い。言いたくなかったというか、整理つけるのに時間かかったんだろうなあ…旅行五日目に会ってるのにその五日目のこと丸々放り投げて六日目のこと語ってくるんだもん。

でもなかなか言葉にできないのも仕方がない。かつての女中頭は「今まで何度かスティーブンスと一緒に生きる人生だったらどうだったんだろうと考えたことがあります」なんて言うし、それを言われるまでスティーブンスは自分たちが両片思いだったというか自分が女中頭にそういう想いを抱いてたんだなと気づき、んでやっと正式に失恋したんだもん。

今はファラディ様に仕えてるけど長年仕えたダーリントン卿が全てだったーもう気力無いーとか旅行最終日に出会った下僕経験ありの男に言っちゃうし…最終的には旅先の人に教えてもらった名所で夕暮れ見て今までの自分を思い返して泣いちゃうし。

本当に、本当にずっとずっと不器用な人なんだなと思う。『日の名残り』という物語の後もずっと。

 

ちょっと救いなのかなっていうのは今仕えてるファラディ様が結構寛大な人で、スティーブンス自身の老化による些細なミスは特に気にしないし優しいから彼の元でちょっとは元気出してほしい。スティーブンス自身も最後の数行でもっとジョーク勉強しようって言ったし、お先まっくらでもなさそうだからそこは安心。そして色々と妄想が広がるキモオタク。

女中頭と上手くいった世界線も妄想で保管しておくしかないけど、なんかあの二人は一緒にならなかったからこそ滾るものがある気がするなあ。

 

 

ノーベル文学賞受賞作家の作品だからという超軽い理由で選んだ『日の名残り』は正解だったというお話でした。『日の名残り』っていう和訳名もいいよね、スティーブンスが旅の最終日に見た夕暮れと、在りし日の栄光や想いが残ってるっていう意味と。

訳者あとがきでスティーブンスが旅行したのはスエズ危機の時なのに、国際問題の有様を見てきましたとか自慢しちゃうスティーブンスはそれだけは言及しなかったことについて問いかけがなされてた。そういった作品の時代背景も追ってみると新たな発見があるかもしれないなあ。

ケロロ軍曹とけものフレンズ(けもフレと原作者に対し厳しいので注意)

少年エース吉崎観音先生がケロロ軍曹けものフレンズのコラボページで謝罪をし始めてもう五回目。ケロロをやめてけもフレを描けというけもフレ側の心無い言葉には慣れ、吉崎先生へのケロロ関連の期待はますます薄れているところである。

 

ケロロけもフレに侵略されてしまっていると思う。

 

そしてその状況を許せて、楽しめている人が今一番吉崎観音ワールドを楽しめているのだろう。変な拘りを引きずってグチグチとしている私のようなやつこそ早く吉崎観音の世界から退場するべきなのだ。

 

私の場合男性キャラの公式による擬人女体化はちょっと…という程度の心の狭さであったがために、ケロロ小隊が吉崎先生の渾身の絵で真面目に擬人女体化されまず死亡している。ケロロ軍曹好きな人は原作の設定や雰囲気からしてパロや薔薇百合に寛容とかいう認識が世間的にはありそうだし、実際これまでも本編に吉崎先生の他作品キャラが出ていたりキャラの性別変化や擬人化等色々あってもあまり気にならなかったこともあって、ケロロ小隊の本気の擬人女体化にここまで拒否反応を起こした自分に正直引いたものだ。なんでそんなにダメだったのかと考え直してみると、ケロロ軍曹が直接は関係ない作品で擬人女体化をされたからかな…とも思えてきた。

近年、原作の内容に不満を持っていたというのもあったのかもしれない。最初は新ケロロがあそこまでレギュラーになり単行本丸々一冊彼の活躍で埋まり表紙すらジャックされるとは思わず疲弊。次はそこまで推されていた新ケロロがある時からガックリと登場回数減したこと。その動きが私には「既存ファンを逃したくないゴマスリ」に見えて吉崎先生の根性のなさに勝手に残念がっていた。月刊誌掲載で単行本が出るペース遅い中丸々一冊新ケロロにくれてやったのにという気持ちも強かった。やっと新ケロロ君を受け入れてこれからはケロロ小隊も六人、いやモアちゃんも入れて七人体制で応援しようと思えそうだっただけに残念だったのだ。そして新ケロロ推しが収まったかと思うと話の内容が薄味な期間が訪れ、更に巻を跨いで二十七巻辺りでやっと安定してきて、二十八巻で長編が始まって盛り上がってきた…という感想を抱きつつケロロ軍曹という作品を読んできた背景がある。ケロロ軍曹がアニケロ終了後結構ガタガタな状況にも関わらずコラボ先の擬人女体化にはそんなに力を入れるのかと。力を入れるべきところは別にあるよなと思ったのだ。

 

現在のモヤモヤポイントは何といっても導入で書いた「エース掲載のコラボページ」である。あれは本当に罪深いものだ。

軍曹さんとサーバルさんのやり取り(ケロロ軍曹のページ数が少ないことへの謝罪)が掲載された時は本当に気が狂いそうなくらい怒ったものだ。内容そのものは何ら害はないし、新ケロロ登場前の私なら微笑ましく読んだだろう。

でも今は違う。今はアニケロが終わりケロロ軍曹の展開が停滞しFLASHアニメも正直スベッた印象しか残っておらず、新ケロロ問題後から長編が始まるまでの単発回も一つ一つの内容が本当に希釈されページ数が少なくても謝罪していなかった…そんな中始まった長編で、しかもケロロ軍曹という作品にとって重要な要素がたくさん詰まっていそうな展開になったところでのページ数減と「今はけもフレで忙しいから」という謝罪ページである。あれで怒らないケロロ軍曹ファンは本当に鍛えられているなと思うし、私の信仰心の足りなさが情けなくなった。

 

今人気のけもフレ描いとけば許されるし皆ハッピーだと思っていそうな吉崎先生にも、「ケロロをやめてけもフレを描け」と平気で宣うけもフレ民にも、ここ数年の公式展開で吉崎先生を信じられなくなってしまった自分にも怒った。

 

文句は言いつつも新ケロロ問題の時は軍曹さんのケロンスターに関することが少しずつ明かされてきてドキドキして続きを読んだし、新ケロロと軍曹さんの仲の良さは微笑ましく思えていた。新ケロロ問題後のページ数が少なくなった単発回だってお気に入りの話やコマを見つけて楽しめていた。今だって久々の長編で続きがとても気になって仕方がないのに。それでもあの謝罪ページという名のけもフレ民宛ての媚びだけは許せない、許したくない。

今までページ数少なくても何も言わなかったから、まあ他にも仕事があって忙しいのかもしれないし仕方ないと思えた。でも今は…久々の長編、ケロロ軍曹のディープな部分にも触れてくれそうな展開、盛り上がっていきたい時。そこで三月から毎号「ケロロ軍曹とは関係のない作品」のキャラを登場させ「今はこの作品で忙しいからごめんね」という謝罪をされている。正直もう呆れている。長編なのにブツブツ切れててごめんなさいという気持ちは伝わらない。「けもフレ描いてる方が楽しいのでケロロ放置気味です」にしか見えない。七月号からは謝罪感すら薄れ、けもフレ民にばかり尻尾を振って楽しそうでなにより。

現にけもフレ民ばかりが大喜びじゃないか。ケロロ軍曹を手掛けた漫画家がコンセプトデザインの作品だともてはやすくせに、ケロロ軍曹自体には「読んだことない」「アニメ観てた(ファーストシーズンのみ)」「今も原作やってるの?」と言いたい放題のけもフレ民が。(全員がそうでないとはわかっています)

 

 

ここまで書いていてわかったことは、私はもうケロロ軍曹のファンすら失格であるということだけだ。

こうやって新ケロロとかに文句言ってたようなのがいたから吉崎先生はケロロから離れていってるんだろう。そりゃ楽しくないよね、ファンがそんなんじゃ。けもフレ民が吉崎先生には暖かいのだろう。吉崎先生があまり関わってなさそうな企画は純粋にケロロ軍曹だけが楽しめていいな、なんて言いながらスロットケロロ軍曹をぶん回しているようなのはもうファンではないのだと思う。

 

今のケロロ軍曹は確かにけものフレンズに侵略されていると思う。

それと同時に私はケロロ軍曹の過去の栄光に侵略されているのかもしれない。

いい歳した大人(中身は子供)になり、念願のでっかいケロロ軍曹を購入し到着を待っているところなのに、ケロロ軍曹という作品と吉崎先生への気持ちは酷いものだ。

 

 

ごめんね軍曹さん。でも吉崎先生にはまだ素直に謝れそうにない、許せるような気もしない。そんな私でも今後も単行本を買って最期まで読むことを許して。

お金で遊ぶオモチャ

課金やめる!とソシャゲ島を飛び出したはずが、うっかりケロロ軍曹のスロットをやってしまうという日々が続いている。金をオモチャにしている大人だ。

 

小学生の頃から好きな漫画のパチスロ化というのはなかなかに感慨深い。

実機で回してみて良かったなと思うことは新録であろうボイスをいっぱい聞けたことが大きい、あれはオタクとしてはとても嬉しいものである…それこそ今後アニメ再開もほぼ不可能であろう、不良債権扱いでパチスロに版権を売られたんじゃというくらいブームが過ぎ去った作品の新録ボイスだ。

あと、今まで他のOPに比べたら映像がちょっと手抜きだなという理由でイマイチだと思っていた『君にジュースを買ってあげる♡』がチャンスゾーンで流れる為好きになったのも良かったことだ。いやああれはテンションが上がる…聞くだけでチャンスを感じる。

全体的にケロロ小隊(特に軍曹さん)が好きな人とモアちゃんが好きな人なら大いに楽しめる内容で、通常ステージがビックリするくらい焦りを感じるのがたまにキズくらいで面白い。通常ステージ…特に日向家と学校のステージは本当に何も出ないことが多過ぎて焦る、地球人サイド好きには申し訳ないがスロケロに関しては宇宙人が多く出たもん勝ちな雰囲気が否めない。チャンスゾーンからの地球人美女だらけの温泉ステージはとってもオイシイのだけれど…大衆に売り出すにはどうしてもケロロ小隊主軸になるしかないのだろう。

今のところストーリーが発生して高確率でチャンスゾーンに行くのはWiki通りヴァイパー戦、カリエスウォー、夏美高熱、ケロロ誕生日、運動会の順といったところか。個人的には夏美高熱がストーリー発生しやすいしチャンスゾーン(ケロボールチャンス)に行きやすかった、少しでも夏美の熱が下がればいいから…。ケロロ誕生日は軍曹さんの「いちにっきゅー!」がストーリー映像とは別に聞こえたら行けるが聞こえないパターンままあり。一番キツイのは運動会で、日向ママが夏美と二人三脚しなければならないという…まあギロロとばかり二人三脚する夏美である。

ケロボールチャンスは本当に楽しくて、実機についているケロボールのモチーフを押したり回したりするとゲーム上乗せ。ここら辺はオモチャ感が強く、ケロロ軍曹が人気絶頂の頃に出ていたらこれを真似た玩具が出たんじゃないかってくらいワクワクする。

 

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パチスロというものは本当に出来がいいと思う。

特にART機能付きのもの。あの演出はアニメにとてもマッチしている、上の画像のようにチャンスゾーン突入時の演出なんてもう脳汁が出る。軍曹さんの嬉しそうな顔を見るとこっちまで幸せな気持ちになって…今パチスロから搾取されまくっている層はオタクなんじゃなかろうか?

 そしてその演出見たさにまあお金が溶ける溶ける。お金で遊ぶオモチャは怖い…今のところ合計50kほど遊んで−5k程度で済んでいるのが奇跡なくらいだ。

しかも店によって設定が大きく異なり、出ない店は本当に出ない。チャンスゾーンすら乗らない、乗ってもすぐ終わって100枚稼げるかどうか…。今日も1軒目はまあ出なくて−10kしてしまった為すぐ前に出た店に。結果は20k投資の+24.5kで、本日は−5.5kとなり前日までの+1kと合わせて合計約−5k…といった感じ。

 今はまだスロケロしか回していないからこの程度で済んでいるものの、もし他にもやろうものなら…考えたくもない。やはり危険だ。

 

しかしどうしてもお金で遊ぶのは楽しくて、金がかかると人は本当に変わるなというのを実感。生活する為、必要なものを買う為にあるべき(そう思っている)お金をパチスロに入れてしまうって、本当に怖いけど楽しいのだ。「脳汁が出る」という表現はとても適切だと思う。

やるべきではないことを進んでやるって、楽しい。

 

ソシャゲでお金遊びに慣れてしまっている人は危険だ。好きな作品がパチスロ化したからと言って安易に実機を触りに行かず、アプリ化を待つか実機買って家パチ家スロした方が賢明である。

マブラヴSFという巨大地雷

課金やめると言ったそばから課金して、後悔の念に押し潰されながらdocomoの携帯決済を止めて半月経った。(ブログを書かなかった間にあった主な出来事)

 

課金をやめても意外と生きていけるものだ。というのもタイミング良く購読している漫画が面白くなってきてソシャゲ自体に構ってられなくなっている、元々持っていた腐女子マインドが暴走しツイッター鍵垢で暴れている状態だ。一時的でも他に夢中になれるものを見つけることができた…と言えるんだろうか。

 

ちょっと時が経ち、落ち着いてきたので冷静になれている気がする。なので思ったことをまた書こう。

課金をやめるきっかけになったソシャゲ…の原作のコミカライズが完結した。やはりあの作品は素晴らしいと思う。タイトルは言ってしまうがマブラヴオルタネイティヴである。そして問題のソシャゲ(ブラゲ)はマブラヴSF。

あんなに素晴らしい原作を作れる会社が、どうしてあんなお粗末な運営しか掴めないのか意味がわからない。ゲームシステムのお粗末さもさることながら、とにかくキャラのシナリオが私は許せなかった。

あれだけ怒って、課金を後悔した真の理由は「SSR伊隅みちるのシナリオがあまりにもお粗末だった」というのが大きかったのかもしれない。

 

マブラヴは原作がエロゲでヒロイン達には主人公という恋のお相手がいる。しかしソシャゲってのは厄介なもので、手に入ったキャラは基本ユーザー大好きな流れが主流なのだ。そしてマブラヴSFは18禁のバージョンもあり、キャラ個別のシナリオとなると勿論エッチなCGとテキストが必要になるわけで。

そこでマブラヴSFはマブラヴSFの主人公(一応シナリオで喋ってる、名前はユーザー毎に決められるがしっかりと人格がある)は原作ヒロイン達とエッチしない方針を取っている…基本的には。じゃあ誰とエッチしてるんだっていうとヒロインが本来好きな相手、純夏なら武ちゃんとエッチしている。マブラヴSFの主人公はマブラヴSFオリジナルのヒロインとエッチする。

ここで問題となるのが、一部ヒロインが本来好きな相手とエッチできてない点である。これに私の好きな女性キャラである伊隅みちるが巻き込まれてしまった。誰とエッチしてるんだって言うとなんと他のヒロインとレズエッチ。みちるが本来好きである男、正樹への想いとかイチャイチャを見たかったのに…。

それはないだろう。なあ。

しかもその内容で気づいてしまった。実はみちるが特定の女性キャラとイチャイチャするのは結構好きだったのだけれど、マブラヴSFが提示してきたレズエッチは組み合わせからシチュから何から何まで地雷のオンパレード!だということに気づいてしまったのだ。

百合的なものに薔薇で言う右左があるのかどうかは分からないのだけど、あるとすれば(というより精神的なもので)伊隅みちるが特定の女性キャラに翻弄されエッチなことを「される」のが好きだ。しかしマブラヴSFのは逆だった…仮にも伊隅みちるのSSRなのだからエッチなことをされるのはみちるであって欲しかった。

ついでに言っておくとシナリオのCGがSSRにしてはクオリティ低い気がした。あのシナリオとCGに10万…いや、やめよう。

 

マブラヴSFは私にとって解釈違いの地雷だ。

元々カプ厨であるためこの地雷は深刻で、きっぱりやめることができたのも納得である。公式遠い解釈違いっていうのは本当にファンの身勝手だとは思うけど、それでも譲れない点があるから今後もマブラヴSFを許すことができないと思う。

 

課金中毒という病

6月19日が終わろうとしていた時、ログインを続けている交流メインのアプリに課金をした。結果は正直惨敗。こうして課金中毒者は負債を増やしていくのか。

 

何らかの病気なのかもしれない。

 

それでもアプリをやめないのは、その向こうにいる他ユーザーとの交流が一日の中で数少ない人との交流となっているからだろう。課金も何かをしていないと不安だからなのか…。近いうちに病院にでも行ってみたらいいのかな、でも病院もお金がかかるし。

どうしてこういう課金クズって自分にお金をかけるのを嫌がってしまうんだろう。なんか勿体ないと思ってしまうんだよな。

 

そうやって思いを巡らせ、出した答えは「2017年6月20日から一切課金をしない」というまあ普通のことで。(ちなみに現役課金中毒者の「課金やめる」は口癖でしかなく、次のガチャ更新後に普通に回していたりするので信じない方がいい)

今回ばかりは本当に、本当にやめる。色々とまずいので。理由はここにも書けないくらい情けないので書かない。

 

これはもう闘病の域だ。

課金中毒という病は今に正式に病であると認定されるだろう、精神疾患の一つとして挙げられる日は遠くないはず。買い物依存症に近いものがあるような気もするので、そういう方面から攻めていけば治せるのではと色々調べた。買い物依存症チェックシートをちょっと課金風に変えてやってみたところ結構当てはまる…少なくとも私の場合、買い物依存症の一種として課金に嵌ってしまっている可能性は高そうだ。特に「お金が無くてもカードを使ってまで買ってしまう」なんて私の通常行動のようなものだ。

 

買い物依存症治療の一つに「欲しい物リストを作る」というものがある。本当に欲しい物、必要な物だけを書いて、リストに無い物は買わない。これをソシャゲと課金に置き換えると好きなキャラ以外は回さないとなるが…いやそれじゃダメなのでは。オフ世界で欲しい物をリストアップして、それらの為にお金を貯めるという方向ならいいのかな。

オフ世界で欲しい物…今はswitchかなあ。おしゃべりガイコツは毎週買ってるから満たされてるし。あと欲しい物…意外と無い?やりたいことを挙げるとすれば、19日から稼働のケロロのスロットはやってみたいけど、まだ新台だから手を出さない方がいいだろう。

 

欲しい物リストは作るとして、課金中毒克服の為に必要なことはなんだろうか。

アプリを開かない…まあ極論はそうなんですけど。でもでもだってを言ってしまうと今現在続けているあるアプリは交流が楽しくて切りたくない。ここはジッと耐えるしかないのか。

今後はカードを使わない方針で行くわけだから、万が一課金したくなってもプリペイドカードを買わなくてはならない。それを毎回保存したらいいのかもしれない。家計簿をつけて、課金してしまったらそれを貼るとか。

 

あれこれ案は出るが、一番大事なことはその案を続けられるかということか。

 

課金中毒を脱した方がいたら教えてほしい、どうやって課金をやめたのかと。

早く真っ当な人間になりたい。

ソシャゲで失ったもの

やめるやめる、絶対回さないと言っては断念しガチャを回すというガチャ禁と断念を繰り返して、もう3年くらい経っているかもしれない。

 

先日あるゲームでガチャのトラブルにあってしまった。

今までガチャの仕様だけは間違わない運営のゲームしかしてこなかった為、まさかユーザーから金を巻き上げる手段であるガチャで不具合を起こすゲームに出くわすとは思わなかった。好きなキャラがいる作品がそういった運営の餌食になってしまう日が来るとは思っていなかった。

補填として送られてきた1400個の石(1万円で135個くらい買える)。使った石が全部返ってきたならいいじゃないか、以前の自分ならそう思っていただろうが今回は違った。金額にして10万くらい、今まで他のゲームで回してきた額に比べたら屁でもないのに。1400個の石がポンとプレボに入っているのがどうにも虚しかった。

不具合が夜中に直されていたことを知った時は「こっちが回すだけ回してから直したんじゃないか」なんて勘ぐりをしてしまうくらい、今回の1400石には虚しさを感じてしまった。問い合わせの回答で「補填したから対応はおしまい」とばかり言ってくることにも異様に腹が立った。石を配ればいいだろという姿勢、好きなキャラと作品を作り出したブランドが金を巻き上げる装置すらまともに設営できない会社にしかソシャゲ運営を頼めないという現状、もう色んな事に怒っていた。

しまいには怒りに任せて消費者センターに電話までしている。消費者センターのおじさんが結構熱心でクレジットカード会社の方にも掛け合ってくれたりとありがたかった、返金とまではならないだろうという結論にはなったけれど。

 

クレジットカード会社に抗弁書を提出したらまだ可能性はあるかも、とまで話が進んだところでふと。

ソシャゲにそこまで労力を費やすのか、と思ってしまった。遂に。

今まで目を逸らしていたことかもしれない領域に遂に踏み込んだ気分だった。

恥ずかしい話、ここ4年くらいはずっとソシャゲ中心の生活をしていた。朝起きたらまずログインしてボーナス貰って、スタミナ消費して。関心ごとが専らソシャゲ関連になりガチャ更新イベント更新が日々の仕事の支えになっているような生活。それによる人との繋がりが増えたことは嬉しいけれどここ数年の自分は中身があったのだろうか。

毎日の生活の中心にするまで、運営側の不具合があった時に消費者センターに駆け込んだりカード会社に抗弁書を提出しようとするまで、そうまでするほどソシャゲ漬けな生き方に中身なんかないんじゃないか。急にソシャゲに全力で、マジになっている自分が情けなくなってしまった。

 

課金をしない人、ソシャゲをやらない人生を送っている人には一生理解できないかもしれない、でもそれでいい。それくらいつまらない、馬鹿げた人生を送っているのが私なのだから。

ソシャゲにここまでのめり込む程度の低さもさることながら、自分の程度の低さに気づくきっかけとなった出来事が運営側の不具合という、もうしょーもない人生のテンプレだ。

ソシャゲ課金で失ったもの。お金、時間、人生…人間性?価値観?なんだろう。

お金はいつか何とかなる。生きて仕事さえしていれば10万円くらい何とかなる。でもよく言われているように時間は戻ってこない。そしてソシャゲ中心で生活することにより出来上がる虚しい生き方、考え方っていうものはなかなか治せない。

 

ここにきてようやく、確率でしか好きなキャラが手に入らないことがおかしいと気づけたのかもしれない。気づけた、というより目を逸らさなくなったのか。

ソシャゲに課金をしない生活。どんな生活だったか、何が楽しくて生きていたのか思い出せない。確かにそういう時期があったのだけれど。モバマス1年目、招待千早の辺りとか。

これまでなかなか課金断ちできなかった理由に、課金をしなくなったら日々何をしていればいいのか分からなくなるからできないというのもあったのかもしれない。現に今ほとんどのゲームを消して半日過ごしたけれど何もやる気が起きなかった。一応PS3はあるし、テレビだって色々やってるのに。ソシャゲ課金をやめたら日々の過ごし方すら分からない。失ったものはお金より時間より大きなものだ。

 

ソシャゲに費やしてきた日々を思い返している。手元にはソシャゲアプリを殆ど消したiPad、これもまたデレステやら何やらを気持ちよくやろうという意図で買ったもの。

こんなこと絶対に親に言えないけれど、ここ数年の私にとってソシャゲは人生そのものだった。その事実が本当に悲しい、虚しい。

 

 

無駄遣いするといけないから、とそれらしい理由をつけて親にクレジットカードを預ける20代の娘。この世の終わりの光景だと思う。ゲームそのものより人との繋がりが主になったアプリを一つだけiPad内に残しているのもまた、どうしようもなさを感じる。

課金せずともソシャゲである程度遊び生きていた頃に戻りたい。ソシャゲに生活を合わせなかった頃に。